デジカメの役割をiPhoneが担うようになって、早十数年。 ふと思い立ち、父から譲り受けた古いフィルムカメラを引っ張り出してきました。 最近はこれを持ち出し、ゆっくりとシャッターを切る時間を楽しんでいます。
メルカリを覗くと、かつての名玉(レンズ)が驚くほど安く売られています。 「次はどのレンズで撮ってみようか」と、数種類ほど購入を検討しているところです。
最近の私は、レコードを買い、紙の本を手に取ります。 世の中があまりにデジタルに偏りすぎて、少し疲れを感じているのかもしれません。
アナログな作業は、とにかく「不便」です。 レコードは一枚一枚針を落とし、A面が終われば裏返してまた針を落とす。 フィルムカメラは、デジカメのように撮り直しも確認もできません。 さらに現像の手間もかかり、今の時代、フィルム代だって馬鹿になりません。
音楽はサブスクで、好きな曲だけを次から次へと「消費」していく。アルバム一枚をじっくり通して聴くことも、一曲を最後まで聴くことさえ少なくなりました。 写真は撮るのも消すのも一瞬。失敗しても確認すればいい。
かつての私は、この便利さに心から感心していました。 なぜなら、あの「不便な時代」をよく知っていたからです。
ふと考えます。 生まれた時からデジタルに囲まれている世代は、この「不便さ」を知っているのでしょうか。
手間をかけ、時間をかけ、一回きりのシャッターに集中する。 次に何が起こるか分からないまま、現像を待つ。 そんな「不便さ」を味わえることは、実はとても贅沢なことだったのかもしれません。
便利さを知り尽くした今だからこそ、あえて不便の中に身を置く。 そんな大人の楽しみを、もう少し掘り下げてみたいと思っています。
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