本当の「貧しさ」とは何か。:19年前、カンボジアで母と。

2007年5月3日。 カンボジア、帰国直前のホテルのロビー。 私の目の前では、旅の疲れに身を任せて眠る母がいた。 あれが、母にとって人生最後となるかもしれない「長距離の旅」への、私なりの答えだった。

当時、周囲からは「親孝行だね」と声をかけられたが、私はその言葉に少しの居心地の悪さを感じていた。なぜなら、カンボジアという国では、親を大切にすることは特別なことではなく、呼吸をするのと同じくらい「当たり前」の光景だったからだ。

足腰に持病を抱えながら、急な階段を上り、船に揺られた母。 身を粉にして私を育ててくれた両親に対し、できる限りのことをしたい。その一心で、私はこの旅を企画した。当時の私は、家族を何よりも尊ぶカンボジアの人々の姿に、本当の礼節と愛の形を学んでいた。

カンボジアの友人たちに「なぜ結婚しないのか」と問われ、「歳をとった時、誰が面倒をみるんだ」と本気で心配されたことを思い出す。 日本では核家族化が進み、高齢者がどこか「疎まれる存在」になりつつある。戦後の大家族が築いた絆は失われ、システムとしての介護が当たり前になった。

マスコミは、経済的な指標だけでカンボジアを「貧しい国」と呼ぶ。 しかし、帰国を目前にした私は、自問自答していた。 「本当に心が貧しいのは、一体どこの国なのだろうか」と。

あれから19年が経った。 2026年の今、母は要介護2の認定を受け、私はあの日の誓いを果たすように、自宅で母の生活を支えている。

ジムニーに布団を積み、何度も往復したあの日。 デイケアの段差に悩み、試行錯誤してステップ台を選んだあの日。 正直に言えば、19年前のロビーで抱いていた理想ほど、現実は美しくも楽でもない。重い腰を上げ、ため息をつくことだってある。

けれど、ふと思う。 もしあの時、カンボジアで「家族の尊さ」を学んでいなかったら。 もしあの時、母の寝顔を見ながら「当たり前のことをするだけだ」と心に刻んでいなかったら。 今の私は、もっと「貧しい心」で介護に向き合っていたかもしれない。

海外旅行への熱も、今の私からは消えてしまった。 けれど、かつてカンボジアの太陽の下で感じた「肉親の絆は、何ものにも代えがたい」という確信だけは、今も私の中心にある。

19年前、ホテルのロビーで眠っていた母。 今、自宅の3モーターベッドで眠る母。

私は今も、あの日の旅の続きを生きている。 本当に豊かな人生とは何かを、母から教わり続けている。

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