ラジオから流れる「ネット炎上」の特集を聴きながら、私はこんなことを考えていた。
SNS上の誹謗中傷、140文字というあまりに少ない情報が生む誤解。匿名という仮面を被った攻撃性が、いつまでも止むことはない。当時は「スルーするか、徹底的に戦うか」という極論しか解決策がないように思えた。
あの時、私はこう記した。「ネット炎上は、炎を初めて手に入れた人類が、まだそのコントロール方法を知らない状態なのだ」と。
火は、暗闇を照らし、料理を作り、文明を育む。しかし、扱いを誤ればすべてを焼き尽くす。当時のインターネットは、まさに制御不能な火の粉が飛び散る混沌とした場所だった。
私はまた、こうも予測していた。「炎上はやがて廃れるだろう」と。 SNSがさらに細分化され、自分にとって本当に大切な人の情報、本当に興味のある情報だけで世界が埋め尽くされれば、見ず知らずの誰かに怒りをぶつける暇などなくなるはずだ、と。
2026年の今、その予測は半分当たり、半分はまだ途上にある。 私たちはコミュニティを選べるようになり、不要なノイズを遮断する術を覚えた。音声検索やAIの進化により、画面上の「文字」に執着して感情を揺さぶられる機会も、少しずつ形を変えてきている。
当時の私が期待していた「音声による情報の取得」は、今や日常の一部になった。必死に文字を追い、行間の悪意に怯える時間は、かつてほど絶対的なものではなくなっている。
インターネットもひとつのメディアである以上、かつてのテレビや新聞がそうであったように、人々は「煽り」や「過激な演出」に少しずつ飽き始めているのではないだろうか。
SNSの喧騒も。 今の私は、かつての自分が翻弄されていた「刺激」から距離を置き、静かな生活を選んでいる。
かつて見つめていた「暴走する炎」は、今もどこかで燃え盛っているかもしれない。けれど、私はようやく自分の手の内にある火を、自分を温めるためだけの「小さな灯火」として扱えるようになった気がする。
不便さを贅沢と感じる今の暮らしこそが、あの日の混沌を抜けた先にある「答え」だったのだ。

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